エイサーを見ているだけで涙が出てしまう!
エイサーは、沖縄の伝統芸能として、
すっかり認知されていて、東京の小中学校でも、
運動会や体育祭などで、
エイサーを披露する学校まであります。
今では沖縄に限らず、全国各地に団体があり、
聞くところによれば、海外にも広がっているようです。
エイサーというのは、
元々は、お盆に先祖の霊を送迎する目的で始められ、
市町村ごとの団体ではなく、市町村の中の地区単位まで、
細かく分けた団体があって、それぞれの団体で特徴があります。
あまり古すぎる話は、よく分からないのですが、
ヒロヒロの生まれは、沖縄本島の中部地区で、
エイサーが、とても盛んな地区だったので、
実の母親は、家族もうんざりするほどのエイサー好き。
母は「全島エイサー祭り」にも、参加した経験もあるぐらいで、
今でも青春時代のエイサーを、力説するぐらいなんです。(笑)
ちょっとここで余談ですが、「全島エイサー祭り」って、
昔はコンクールと言う名の「大会」だったのです。
母が言うには、振り付けを試行錯誤して、
全島エイサーコンクールに挑んでも、
ある団体だけ、優勝することが数回も続き、
それに不満を持った他の団体が、一斉にボイコットして、
大会が成立しないほどの大騒ぎになったとか。
(母はそのときの体験者です)
それが今では、「祭り」として親しまれ、
2015年で、60回目を迎えるまでになったのです。
さて、こんな環境で育ったからには、
さぞかしヒロヒロも、エイサーに明け暮れた日々を、
送っていたのかと思われるかもしれませんが、
実は今も昔も、エイサーをやってみようとは、
全く思わない人なんです。
誤解の無いように言っておきますが、
エイサーは大好きですよ!本当に好きです。
でも、自分がやろうとは思わず、
ただ何時間でも見ているのが好きなんですが、
沖縄を離れて、東京で暮らすようになってから、
久しぶりにエイサーを見たときに、涙が出たんですよ!
自分でも、これにはビックリしましたね。
久々に沖縄に帰省して、全島エイサー祭りで、
エイサーを見ていたときでしたね、
友人たちと一緒だったので、涙を隠すのに、
必死だったのを、今でもハッキリと覚えています。
幼い頃に刻まれたエイサーの迫力!
エイサーを見て、涙が出るなんて、
ちょっと変に思われるかもしれませんね。
歳をとったから涙もろくなったとか、
そういう感情ではないんですよ。
本当にいろいろな感情が混ざり合って、
頭の中で、ブワァーーって大きな波がきて、
ポロっと涙が出てくる感じなんですよ。
幼い頃、お盆で祖父母の家に集まっているときに、
どこからともなく、エイサーの音が聞こえてきて、
それを必死に捜し歩き、見つけたときには、
親の手を振り払うほど、夢中になって見ていました。
母が言うには、兄弟の中でも私だけ、
身振り手振りで、必死に踊っていたようですが、
今となっては、その記憶はほとんど無いです。
小学生の頃には、運動会でエイサーを踊りましたが、
結局はそれが、最初で最後のエイサーとなり、
中学、高校では、エイサーをやることはなかったです。
でも、毎年お盆のときは、
祖父母の家でエイサーを見ていましたね。
高校生になってからは、
友人たちと毎年かかさず、全島エイサー祭りに出かけ、
色々な思い出があります。(ナンパ楽しかった)
エイサーって、本当に練習が大変で、
一斉に太鼓を叩くタイミングを聞くだけでも、
どれだけ練習したのかが、瞬時に分かります。
叩くタイミングが、見事にあっている団体の演技をみると、
それだけでも鳥肌が立ってきて、また泣けるんです。(笑)
きっと小さい頃に、エイサーを見ていなかったら、
これほどまでの感情は、無かったと思います。
と言うのも、ただ単に沖縄の民謡や、
三線の音色だけ聞いても涙は出ません。
エイサーの太鼓の音や、
それに合わせた掛け声(スリサーサーとか)、
高々と鳴り響く指笛、
それを見ている大勢の人たちがいて、
またそれを、遠くから見ている自分を想像すると、
何とも言えない感情がやってくるのです。
私にとってエイサーというのは、
沖縄の伝統芸能の中で1番好きで、
何時間でも見ていられるほどなんです。
沖縄人の中には、こういう人もいるんですよ。www
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