2015年4月25日に、沖縄本島の北中城村に、
華々しくオープンした「イオンモール沖縄ライカム」
沖縄県では、最大級の商業施設で、
建設計画から、完成するまで本当に多くの人が、
さまざまな意見を持っていて、
いろいろと口コミのサイトを調べていると、
期待と不安があったのだということが分かります。
そして今日は、
“ライカム”っていう名称について、
気になる口コミを見つけましたので、
名称に関することを書いていきます。
“ライカム”という名称についての口コミ!
沖縄では、何かと基地問題には敏感なのに、
「なんで“ライカム”って名称にしたのか?」
「“ライカム”って名前は使って欲しくない!」
こういう意見を持っている人もいます。
イオンモールの話なのに、
どうして基地問題の話が出てくるのか?
こう思う人もいると思うのですが、
沖縄の歴史上、どうしてもこの手の話は出ます。
確かに言われて見れば、
“ライカム”って名称を嫌う人がいても、
ぜんぜん不思議なことではないんですよ。
昭和の後半生まれの人や、
平成生まれの世代にとっては、
“ライカム”っていわれても、正直ピンとこない人が、
圧倒的に多いと思われます。
(ヒロヒロも正直ピンときませんが、、、)
「イオンモール沖縄ライカム」がある場所は、
元々は、「泡瀬ゴルフ場」といって、
在日米軍のゴルフ場だったんです。
元カノが、北中城出身だったこともあって、
ゴルフ場に限らず、アノ地域はよく車で通りました。(笑)
まあまあ、私の話は置いといて、、、
戦後いろいろな経緯で、ゴルフ場になったのですが、
沖縄県側は、1988年ごろから返還を要求していたそうで、
1996年に、日米で返還が決定したのです。
それから、跡地をどうしていくのかが検討され、
最終的には、イオンモールの開業という流れになったのです。
それで、
“ライカム”って名称は、いったいどこから来たのか?
泡瀬ゴルフ場の近くには、「琉球米軍司令部
(Ryukyu Command headquarters)」 という、
施設もあったのですが、
「Ryukyu Command headquarters」
RyCom=ライカム
この略からきているんです。
だいたい泡瀬ゴルフ場あたりのことを、
ライカムって言ったり、近くにある交差点を、
「ライカムの交差点」と言えば、
あーあの辺ね!って話が通じるんです。
そういった経緯もあってかどうか、
「イオンモール沖縄ライカム」という名称に決まったとき、
個人的には、
「あーそうきたか」と思ってしまうほど、
とても馴染み深い名前に感じたのです。
ライカムって昔と今ではイメージが違う!
軍事施設のなごりが残ってしまう名称には、
当然、反対する意見もあるんです。
確かに、返還要求をしておきながら、
名称は引き継ぐことって、考え方によっては、
施設をなくすのがもったいないと、
解釈することもできますし、
逆にそういった歴史を忘れないために、
あえて名称を残して、後世に伝えていくという、
解釈もできなくはないのです。
人によっては、
マイナスにとらえたり、プラスにとらえたり、
中には名称なんてどうでもいいと、
思っている人もいると思います。
でも正直なところ、多くの沖縄人にとっては、
“ライカム”と言っても、たいして悪いイメージは、
持っていないと思います。
悪いイメージが強いのであれば、
もっと反対の声が上がるはずですが、
ライカムという名称に対して、
突っ込む人はごく一部の人でした。
ライカムは、テロの標的にされるとか、
少々過激な口コミを書いている人もいましたが、、、
いろいろな考えを持った人が、
沖縄にはいますので、ライカムっていう名称には、
こうしたこともあるんだということを知ってほしいです。
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